[記事公開日]2016/03/08
[最終更新日]2016/04/05

コペルニクスの地動説は17世紀に起こる科学革命の先駆けとなった

         ニコラウス・コペルニクス

古代ギリシャのプトレマイオスが唱えた天動説が千数百年間ヨーロッパを支配

2世紀頃の古代ギリシャで活躍した天文学者のクラウディオ・プトレマイオスは、それまでの天動説体系の集大成を行ったとされています。

紀元前6世紀頃のギリシャでは、哲学者らが自然科学的な方法による天文観測を行うようになりましたが、やがてピタゴラス学派によって、大地が球形で、その周りを天体が回っているという説が唱えられるようになります。

ピタゴラス派の一人であるエウドクソスは、同心球上の惑星が大地(地球)の周りを回る「同心天球説」を唱え惑星運動の説明を試みていたようです。

エウドクソスによる「天動説」は、その後アリストテレスらによって数学的肉付けがなされ、しだいに観測と一致するようになりました。

それから300年後の2世紀頃に、古代ギリシャで活躍したプトレマイオスが、この天動説体系の集大成を行ったとされています。

プトレマイオスは、ヒッパルコスの後継者として、精密な天文観測を基にヒッパルコス体系に改良を加え、天体の様々な事象について著した天文学書『アルマゲスト』全13巻を完成させました。

プトレマイオスは、天文学書『アルマゲスト』において、太陽、月、星、惑星の運動や、恒星の動きなどについて、精緻な天動説宇宙論を展開しており、彼が築き上げた天体運動論は、非常に精緻で理論的であったことから、その後千数百年に亘ってヨーロッパ世界を支配することになったと言われています。

 

コペルニクスの唱えた地動説は、17世紀に起こる科学革命の先駆けとなった

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プトレマイオスの天動説は、カトリック教会の擁護もあって、改変が許されない真理として、長い間ヨーロッパ世界を支配しましたが、時代が経るにつれ暦上の惑星の位置関係に誤差が累積し、次第にその欠陥が明らかになってきたと言います。

千数百年に亘ってヨーロッパ世界を支配してきた天動説に対して、地動説を唱えたのが、16世紀にポーランドで活躍したニコラウス・コペルニクスです。

コペルニクスは、多くの観測資料を研究するうちに、宇宙の中心に太陽を置き、その周りを地球や惑星が回る方が天体運動をうまく説明できるのではないかと考えたようです。

神父でもあったコペルニクスは、古代ギリシャの文献の研究を通して、その時代にもアリスタルコスのように太陽中心の天体運動を考えていた哲学者がいたことを知りました。

アリスタルコスの地動説は、極めて心情的なものだったようですが、これに対して、コペルニクスは、実際の惑星運動の計算や観測から、地動説に科学的裏付けを行った最初の人だったと言います。

コペルニクスは、地動説を元に、実際に星の軌道計算を行い、地動説体系をまとめて主著『天体の回転について』を著しました。

コペルニクスは、自己の地動説発表による影響を恐れて、主著『天体の回転について』の販売を、死期を迎えるまで許さなかったため、自著の完成を見ることなく逝ったと言われています。

しかし、コペルニクスが唱えた地動説は、多くの学者に支持され、その後、宗教から科学研究が独立していく科学革命の先駆けとなったようです。

17世紀に起こる科学革命の先駆けとして登場したのが、コペルニクスの唱える地動説だったようです。

 

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