[記事公開日]2016/04/20

旧暦の太陽太陰暦は月のカレンダーが持つ問題を直したもので明治5年にグレゴリオ暦に改暦

太陰暦は月の暦・カレンダー

太陰暦とは、月の満ち欠けに合わせた暦・カレンダーのことであり、かつて古代では、この月の満ち欠けに合わせたカレンダーが使われていました。

太陰とは、月を表します。

古代の人々にとって、月は日数を数えるのに便利な道具でした。

天気が晴れてさえいれば、月はどこからでも見えますので、月の形を見ることによって、新月から何日経ったのかを知ることができました。

また、全ての人にとって月が同じように見えるということは、共通の基準をもつということでもあり、好都合でもありました。

新月から次の新月までの周期を朔望月と言いますが、1朔望月は、約29.5日になります。

1朔望月は、約29.5日ですから、暦の1ヶ月を29日と30日の組み合わせで作ると、1日は新月、8日頃に上弦、15日頃に満月、23日頃に下弦というように、日数と月の満ち欠けをうまく組み合わせることができます。

しかし、月の満ち欠けに合わせた太陰暦には、問題もありました。

1朔望月の約29.5日を12倍すると、354日となり、1年の長さ365日よりも11日少なくなります。

このため、太陰暦を何十年も使っていると、このズレが積み重なって、不都合が生じてしまいます。

例えば、1月や2月が真夏になって正月が真夏に訪れたり、7月や8月に雪が降るというような感じで、1年のサイクルとは大幅にズレが生じるような欠点がありました。

月の満ち欠けに合わせた暦である太陰暦には、時間が経つと月数と季節がずれてしまうという欠点があった訳です。

このため、純粋な太陰暦は、イスラム教の宗教行事で使われる特別な暦ぐらいしか使われなくなっていると言います。

 

太陰暦の欠点を直したのが太陽太陰暦で、旧暦と呼ばれている

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月の満ち欠けに合わせた暦である太陰暦には、時間が経つと月数と季節がずれてしまうという欠点がありました。

そこで、太陰暦が持つ欠点・問題を直した暦として使われるようになったのが、太陽太陰暦になります。

太陰暦の12ヶ月は、354日となり、1年365日よりも11日短いために、3年経つと1ヶ月程季節とずれてしまいます。

その欠点を解消するためには、約3年に1度、1ヶ月を余分に入れると、季節とのズレを解消することができます。

このように余分に入れる月のことを閏月(うるうづき)と言いますが、この閏月(うるうづき)を入れることで太陰暦の欠点を直したものが太陽太陰暦になります。

しかし、上記の方法でも、まだ欠点があり、3年で約3日のズレが生じてしまうという問題がありました。

このズレをなるべく少なくしたものが「19年7閏法(じゅんぽう)」と呼ばれるものになります。

19年間に閏月(うるうづき)を7回入れれば、220年で1日季節が早くなるだけの正確な暦が作れます。

「19年7閏法(じゅんぽう)」は、ギリシャで発見され、中国では広く用いられたと言います。

太陽太陰暦においても、太陰暦と同様に、ほぼ、1日は新月、8日は上弦、15日は満月、23日は下弦であることには変わりはありません。

世界中の多くの国々で太陽太陰暦は作られましたが、多くの場合は、新月(朔)になる日を1日としていたようです。

ただ、現在では、太陽太陰暦を公式に使っている国はなく、今では、グレゴリオ暦が広く使われるようになっています。

 

日本では明治5年(1872年)に旧暦(天保暦)からグレゴリオ暦に改暦

太陽太陰暦は、旧暦と呼ばれています。

日本においては、明治5年(1872年)までは旧暦が使われていました。

その時使われていた旧暦は、天保暦と呼ばれるもので、明治5年12月2日(1872年12月31日)まで使われていました。

そして、その翌日の12月3日をもって明治6年(1873年)1月1日に改められ、グレゴリオ暦(太陽暦)に改暦されています。

改暦は明治5年11月9日(1872年12月9日)に布告され、翌月に実施されました。

天保暦は今なお占いや伝統行事などで需要があり、旧暦もしくは陰暦の俗称で用いられていますが、現在旧暦として使われている暦は改暦前の天保暦とはわずかに異なるようです。

現在でも、立春、夏至、冬至など二十四節季と呼ばれるものが、私たちの生活の中に深く根付いていますが、これは元々、中国の太陽太陰暦の中で使われた区分手法の1つでした。

二十四節気は、中国の戦国時代の頃に太陰暦による季節のズレを正し、季節を春夏秋冬の4等区分にするために考案された区分手法の1つになります。

1年を12の「中気」と12の「節季」に分類し、それらに季節を表す名前を付けたものが二十四節気です。

日本においては、江戸時代の頃から用いられるようになりましたが、元々二十四節気は、中国の気候を元に名づけられたもので、日本の気候とは合わない名称や時期もあります。

そのため、それを補足するために二十四節気のほかに土用、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取りいれたものが、日本の旧暦となっています。

 

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