[記事公開日]2016/05/18

ニュートリノ初観測の小柴昌俊氏とニュートリノ振動発見の梶田隆章氏はノーベル賞受賞

スーパーカミオカンデに設置されている光電子増倍管(国立科学博物館の展示)

ニュートリノという素粒子研究から、2人の日本がノーベル賞を受賞

ニュートリノという素粒子は、ある意味において、日本人科学者とご縁が深い素粒子であり、ニュートリノの研究によって、小柴昌俊氏と梶田隆章氏の2人のノーベル賞受賞者が既に誕生しています。

小柴昌俊氏は、1987年、自らが設計を指導・監督した、岐阜年神岡町の地下施設「カミオカンデ」によって史上初めて自然に発生したニュートリノの観測に成功し、「ニュートリノ天文学」という新しい学問分野を開拓した功績により、2002年にノーベル物理学者賞を受賞されています。

小柴昌俊氏は、後進の教育・指導にも当たり、「私の研究を受け継いだ者の中からノーベル賞を受賞する研究を成し遂げる者があと2人は出るであろう」と発言されているようです。

そして、実際にも彼の愛弟子の一人であった戸塚洋二氏はノーベル物理学賞の有力候補として注目されていましたが、戸塚氏は2008年にガンで亡くなられ、受賞は叶わなかったものの、同じく愛弟子の一人である梶田隆章氏が2015年にノーベル物理学賞を受賞され、戸塚氏が果たせなかった悲願を実現させておられます。

 

素粒子のニュートリノとは

ニュートリノとは、素粒子の中の1つですが、素粒子にはいくつかの種類があり、働き方によってクオークとレプトンに分けられますが、ニュートリノはレプトンに属する素粒子になります。

ニュートリノは、太陽のエネルギー源である中心部での核融合反応の副産物として生産されますが、太陽からだけ来る訳ではなく、宇宙のあらゆる方向から宇宙線としてやって来ます。

そして、ニュートリノは、電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノの3種類、もしくはそれぞれの反粒子を合わせた6種類あると考えられています。

『宇宙に充満するニュートリノに質量があることはスーパーカミオカンデでの振動現象発見による』、こちらの記事の中でも書きましたが、素粒子ニュートリノは、元々は、1930年に物理学者パウリが考えた仮想の粒子だったと言います。

パウリは放射性物質の実験で、当時研究者を悩ませていた難解な問題を解決するために、目に見えず電気的な性質もない、非常に軽い粒子が、検出器をすり抜けて飛び出していると考えたそうです。

そして、これが、ニュートリノの存在の予言となりました。

このとき、パウリはこの粒子を「ニュートロン」と呼んでいましたが、これが今日のニュートリノであり、ニュートリノは本物が発見される前に、科学者の頭の中で生まれたということになります。

パウリが考えた仮想の粒子に、ニュートリノという名前が付いたのは、それから3年後の1933年、イタリアの物理学者フェルミが、中性の微粒子という意味で名付けました。

イタリアの物理学者フェルミは、パウリの考えた粒子について研究しベータ崩壊の理論を構築していました。

1932年に現在のニュートロン(中性子)が発見されていましたので、幽霊粒子のほうを「ニュートリノ」と名づけ直したそうです。
「ニュートラル」は中性、つまり電気を帯びていないという意味、「イノ」はイタリア語で小さいという意味であり、中性の微粒子という意味になります。

そして、実際にニュートリノが初めて発見されたのは、1956年になります。

1956年、ライナスとコーワンというアメリカの物理学者によって、原子炉から出るニュートリノが初めて観測され、ニュートリノは実在の粒子であることが分かったそうです。

命名から20年以上経って、やっとニュートリノは発見されたということになります。

 

「ニュートリノ天文学」を開拓した小柴昌俊氏が2002年にノーベル物理学賞を受賞

スポンサーリンク

1956年、ライナスとコーワンというアメリカの物理学者によって、原子炉から出るニュートリノが初めて観測されましたが、自然に発生したニュートリノの観測に史上初めて成功したのは、日本のカミオカンデグループになります。

カミオカンデとは、岐阜県神岡町にあるニュートリノ検出装置であり、2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊博士をセンター長として運用されていました。

1987年1月、カミオカンデグループが太陽ニュートリノの観測を開始しました。

そして、カミオカンデで太陽ニュートリノの観測が開始されたわずか1ヶ月後の、1987年2月23日、超新星から放出されたニュートリノが、世界で初めて観測されることになりました。

私たちの銀河系から16万光年離れた超新星1987Aからやって来たニュートリノを捕まえることに成功したようです。

私たちの銀河系から16万光年離れた大マゼラン星に出現した超新星からは、太陽が約100億年(一生)かけて放出する分の約100倍のエネルギーが、約10秒という短い間に大量のニュートリノとして放出されたようです。

この時の超新星爆発では、10兆個を超えるニュートリノが、地球や私たちの体を通り抜けて、宇宙に飛び去ったと考えられているようです。

そして、ここから「ニュートリノ天文学」という新しい学問が始まったのだそうです。

2002年に小柴昌俊博士がノーベル物理学賞を受賞されたのは、「ニュートリノ天文学」という新しい研究分野を開いたことが高く評価されて決まったものだと言われています。

また、現在ニュートリノの研究は、1996年に出来たスーパーカミオカンデで続けられています。

 

ニュートリノ振動を発見した梶田隆章氏が2015年にノーベル物理学賞を受賞

1930年にパウリがその存在を予言したニュートリノは、1933年にフェルミによって「ニュートリノ」と命名され、さらに20年以上経った1956年にようやく発見された訳ですが、その後新たに、「太陽ニュートリノ問題」というものが持ち上がって来たようです。

太陽から地球にやって来るニュートリノの量が、理論から予測される値より大幅に小さく、3分の1程度しかなかったようです。

観測は、日本、アメリカ、ヨーロッパ、ロシアなどで行われましたが、予測される値の3分の1から2分の1程度しかなく、理論と観測の矛盾・不一致は「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれました。

「太陽ニュートリノ問題」は、現在では、ニュートリノには3種類あり、お互いに他のフレーバー(クオークとレプトンの種類)に変身することを考量すれば、一件落着となったようです。

電子ニュートリノが地球に届くまでに、他の世代のニュートリノ(ミューニュートリノ、タウニュートリノ)に変化する「ニュートリノ振動」という現象の可能性が検討されることになりましたが、その後の実験によって、この「ニュートリノ振動」という現象が実際に起こっていることが確認されました。

この「ニュートリノ振動」は、1998年にスーパーカミオカンデにおける実験で発見されましたが、「ニュートリノ振動」の発見により、ニュートリノがわずかながら質量を持つことが証明されました。

それまではニュートリノの質量は0だと考えられていたので、その発見は素粒子の枠組みを説明する「素粒子標準理論」に見直しを迫る、画期的な結果だったようです。

そして、このことが、2015年10月6日、東京大宇宙線研究所の梶田隆章教授が、ノーベル物理学賞を受賞されたことにつながったことは、記憶に新しいところです。

ニュートリノという素粒子の研究により、既に2人のノーベル賞受賞者が日本から誕生した訳ですから、ニュートリノという素粒子は、ある意味において、日本人とご縁が深い素粒子と言えるかも知れません。

そして、スーパーカミオカンデでは、宇宙が誕生してから1分後の様子が分かるようなニュートリノの観測も行われているようです。

ビッグバンの直後の宇宙がまだ小さかった頃、宇宙は粒子と光がぶつかり合うスープのような状態で、光は直進することができませんでしたが、しかし、ニュートリノは宇宙誕生直後から、自由に宇宙空間を飛び回っていたようです。

そこで、このビッグバンの名残のニュートリノ、宇宙の始まりから飛んでくるニュートリノが観測できれば、宇宙が誕生して1分後の様子が分かると考えられています。

日本が世界に誇るスーパーカミオカンデで、ビッグバンの名残のニュートリノ、宇宙の始まりから飛んでくるニュートリノの初観測に成功する可能性もあります。

そうなると、「ニュートリノ天文学」の分野において、さらにノーベル賞を受賞する日本人科学者が誕生することになるかも知れません。

梶田隆章氏を所長とする東京大学宇宙線研究所のこれからのご活躍が、さらに楽しみです。

 

スポンサーリンク

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ