[記事公開日]2016/03/10
[最終更新日]2016/04/05

月の観測史における探査機の時代は1960年代から始まる

    月の近接撮影に始めて成功したレインジャー7号機

月の観測は望遠鏡の時代から探査機の時代へ

『月の観測史における望遠鏡の時代はガリレオが先駆けとなりアポロ計画の予備調査まで』、こちらの記事の中でも書きましたが、月の観測結果を最初に残したのはガリレオ・ガリレイであり、ガリレオが先駆けとなって、月を望遠鏡で観測する時代が17世紀に始まりました。

そして、アメリカのアポロ計画の予備調査のために望遠鏡を使った月の詳細な観測が行われた1960年代までが、月の観測史における望遠鏡の時代となります。

そして、アポロ計画により人類を月に送り込むための無人月探査機が1960年代から登場することになります。

 

アポロ計画のために無人月探査機が1960年代から登場

1961年5月21日、アメリカのケネディ大統領は、国会においてアポロ計画を発表します。

「私はこの1960年代が終わる前に、人類を月に着陸させ、安全に地球に帰還させることをアメリカの目標とすべきであると信ずる。」

ケネディ大統領が発表したアポロ計画により、アメリカは月に人類を送るための無人月探査機を開発します。

アメリカは、月に人類を送り込むために、レインジャー、サーベイヤー、ルナーオービターという無人月探査機のシリーズと、マーキュリー、ジェミニ、アポロの有人宇宙船のシリーズを計画しました。

 

レインジャー7号機が1964年7月に月の近接撮影に初成功

レインジャーは月に衝突するタイプの探査機であり、衝突するまでにテレビカメラで月の表面がどうなっているのかを調べました。

ただ、レインジャーは、最初は失敗続きでした。

レインジャーが最初に打ち上げられたのは、1961年8月のレインジャー1号が最初でしたが、地球から脱出できずに失敗しています。

そして、それから3ヶ月ごとに打ち上げられた2~6号機もことごとく失敗したようです。

1964年7月28日に打ち上げられた、レインジャー7号機が、月の近接撮影と転送に成功した初めての機体となります。

1964年7月28日に打ち上げられたレインジャー7号機は、月衝突軌道に乗り、衝突前の数分間に高解像度画像の転送に成功しました。

レインジャー7号機には6台のビジコンカメラ、2台の広角カメラ、4台の狭隅角カメラが積まれており、信頼性を高めるために電源、制御、通信に関してそれぞれ独立しており、カメラ以外の装置は特に積み込まれていなかったようです。

レインジャー7号機に続き、8号機、9号機でも月の近接撮影に成功しています。

 

1966年5月、サーベイヤー1号機は月に着陸して5814枚の写真撮影に成功

サーベイヤーは、無人で月に着陸して、着陸技術を学ぶとともに月表面の状態を調べる探査機です。

1966年5月に打ち上げられたサーベイヤー1号機は、嵐の大洋に着陸し、5814枚の写真撮影に成功しています。

サーベイヤーは、その後7号機まで打ち上げられ、計5機が成功しました。

 

ルナーオービターは、人類の月着陸に適した場所を選ぶための探査機

ルナーオービターは、月の周回軌道から人類の月着陸に適した場所を選ぶための探査機であり、スパイ衛星の技術が使われたと言います。

1966年8月にルナーオービター1号が打ち上げられ、1967年7月の5号まで全て成功しています。

 

マーキュリーは人が宇宙に行く技術を確立するための1人乗り宇宙船

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マーキュリーは、1人乗りの宇宙船で、人が宇宙に行く技術を確立するのが目的でした。

1961年5月と7月に打ち上げられた最初の2機は、飛行時間わずか15分という弾道飛行だったようです。

しかし、続く4機は地球周回軌道となり、1963年5月に打ち上げられた最後のフェイス7号機は34時間19分の飛行時間となっています。

 

ジェミニはアポロが月に行くための技術を確立するための2人乗り宇宙船

マーキュリー計画に続くジェミニは、2人乗りの宇宙船で、アポロが月に行くための技術(ランデブー、ドッキング、宇宙遊泳)の確率が目的となっていました。

ジェミニは、ジェミニ3号(1965年3月)から12号(1966年11月)まで10機が打ち上げられています。

そして、アメリカのアポロ計画では、アポロ宇宙船を月に送り込むために、サターン5型ロケットが使われましたが、アポロ計画については、また別の機会に書いてみたいと思います。

 

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