[記事公開日]2016/03/20
[最終更新日]2016/04/05

月探査の歴史ではアポロ計画以降の21世紀は日本の衛星「かぐら」や中国やインドも台頭

      H-IIAロケット13号機による月探査衛星「かぐや」の打ち上げ

月探査の歴史は冷戦下の米ソが激しく競争

第二次世界大戦が終わった後の、米ソ冷戦下において、アメリカとソビエト連邦は、宇宙開発においても、激しい競争を繰り返し、デッドヒートを繰り広げていました。

もちろん、月の探査においても、米ソは激しい競争を繰り広げていました。

そして、この競争において、最初に先行したのは、ソ連でした。

人類が作ったロケットが、地球に一番近い天体である月に到着したのは、1959年9月のことであり、ソ連のルナ2号が、初めて月面に衝突することに成功したのです。

月面着陸を目指して競争を繰り広げていたアメリカとソ連ですが、まずはソ連が先行する形となりました。

その後、ソ連とアメリカは、月面のクレーターや月の裏側などを撮影し、月面地図を作製する為に月面の99%に及ぶ写真を手に入れました。

また、月面の軟着陸にも成功し、月面の堅さや、月面がどんな物質からできているかなども調査することになります。

そして、こうした探査に基づいて、有人月面着陸を目指すことになります。

 

1969年7月21日、アメリカの有人宇宙船アポロ11号が月面着陸に成功

米ソが行ってきた月探査に基づいて、有人宇宙船が月に着陸する技術が開発され、着陸する場所も探られました。

冷戦下の米ソ宇宙開発競争の最中における1961年、アメリカのケネディ大統領は、1960年代中に人類を月に到達させるという声明をアメリカ議会において発表しました。

これが有名なアポロ計画ですが、1969年7月21日に、アメリカの有人宇宙船アポロ11号が月面着陸に成功し、人類は初めて月面に降り立つことになりました。

月面に降り立ったニール・アームストロング船長は、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」という有名な言葉を残しています。

その後もアポロ宇宙船は17号まで打ち上げられて月面の様々な場所に着陸し、岩石標本などを持ち帰りましたが、その中でも、事故を起こしながら月を回って地球に生還したアポロ13号の話は有名です。

アポロ13号において、月に向かう軌道上で機械船の酸素タンクが爆発する事故が起こり、これによって月面着陸は断念せざるを得なくなりましたが、乗組員たちは地上の管制官や技術者たちの援助と、そして何よりも彼ら自身の優れた危機管理能力により、無事に地球に帰還することができました。

アポロ計画に使われたサターンロケットは、全高が110メートルほどあり、30階建てのビルに相当するくらいの大きさがありましたが、これは、全重量のほぼ9割を占める燃料を積む必要があったためだと言います。

今もロケットの推進剤には液体燃料を使っていますが、原子力ロケットや、イオン化された推進剤に電圧をかけて噴射するイオンエンジンロケットなどの研究も進められており、技術もどんどん進歩していると言います。

アメリカが行ったアポロ計画が、月探査の1つの区切りともなりましたが、21世紀に入ると、日本をはじめ、中国やインドなども、月の探査において台頭してきています。

 

日本の月面探査機「かぐや」の他、中国やインドも台頭

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かつて、冷戦下の米ソ宇宙開発競争において、月の探査も激しい競争が繰り広げられましたが、アメリカのアポロ計画の終了とともに、1つの区切りを迎えたとも言えます。

そして、21世紀に入ると、かつて宇宙開発で激しいデッドヒートを繰り広げたアメリカやロシアだけではなく、日本をはじめ中国やインドなど、アジアの国々も台頭するようになりました。

日本が2007年9月に打ち上げに成功した月面探査機「かぐや」もその1つになります。

★月面探査機「かぐや」

月面探査機「かぐや」(SELENE)は、日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が打ち上げた月周回衛星になります。

SELENEはギリシャ神話の月の女神セレネ(Selene)にちなんだ名称だとのことですが、「かぐや」の愛称は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)が行った一般公募によって決定されたと言います。

月周回衛星「かぐや」を利用した月探査計画は「SELENE Project(セレーネ計画) 」と呼ばれ、NASA(アメリカ航空宇宙局)が行ったアポロ計画以降、最大の月探査計画とされています。

月周回衛星「かぐや」は、主衛星と2機の子衛星で構成され、14種類の観測機器を搭載していました。

2007年9月14日に打ち上げられ、打ち上げ後は順調に飛行を続けて予定通りに月周回軌道に入り、2機の子衛星を分離後に月面から高度100kmの月周回観測軌道に投入されました。

2009年6月に月面に制御落下させられるまで、約1年半にわたり月を周回しながら様々な観測を行いましたが、NHKのハイビジョンカメラを搭載し、「 かぐや」の周回に伴って月に隠れていた地球が見えてくる「地球の出(アース・ライズ)」なども撮影されています。

月面探査機「かぐや」は、その後の中国(嫦娥1号)・インド(チャンドラヤーン1号)・アメリカ(ルナー・リコネサンス・オービター)と続く一連の月探査機群の先陣を切るプロジェクトとなりました。

太陽系探査はもともとアジアでは日本が大きく先行していた分野でしたが、すでに中国が米ロに次ぐ宇宙大国と認識されていた当時、月面探査機「かぐや」は日本が中国に追い付くものとして日本国外メディアからも注目されたと言います。

日本の月面探査機「かぐや」が2007年9月14日に打ち上げ成功した直後の10月24日に、中国の「嫦娥1号」が打ち上げに成功しています。

また、それから1年後の2008年10月22日には、インドが月探査機「チャンドラヤーン1号」の打ち上げに成功しています。

「ルナー・リコネサンス・オービター(LRO)」は、アメリカの月周回無人衛星になります。

アメリカは2004年に、いわゆる新宇宙政策を発表し、2020年頃の有人月探査実施、その先の有人火星探査の検討に着手すると宣言しましたが、「ルナー・リコネサンス・オービター(LRO)」は、その政策に沿ったアメリカの月への動きの具体的な第一歩となります。

「ルナー・リコネサンス・オービター(LRO)」は、月面に衝突させる「LCROSS(エルクロス)」衛星と同時に、無人月探査計画の一環として、2009年6月18日に打ち上げられました。

「ルナー・リコネサンス・オービター(LRO)」は、月面からの高度50kmの極軌道を周回しますが、搭載されたカメラ(LROC)は最高で50センチという驚異的な解像度を誇り、科学的探査よりは、有人月探査に向けた着陸点選定のための基礎資料収集といった、将来的な探査に向けた情報収集を狙っていると言います。

アメリカが2004年に発表した新宇宙政策においては、2020年頃の有人月探査を検討しているとのことでもあり、月はますます解明されていくことになると思います。

 

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