[記事公開日]2015/11/15
[最終更新日]2016/04/11

宇宙は無限か有限か、時間と空間における宇宙の無限性について考察してみる

宇宙の無限性とは

宇宙の無限性とは何でしょう?

それは、宇宙が時間においても空間においても無限であるということを意味します。

宇宙の無限性について考察する時、時間における無限性と、空間における無限性を考える必要があります。

しかし、時間と空間とは、決して別々のものではなく、本質的には、密接不可分のものなので、時間の無限性を考えることは、即ち、空間の無限性についても考察することになり、空間の無限性を考えることは、即ち、時間の無限性についても考察することであると考えます。

私たちは、この物理的宇宙というものを、「時間と空間」という座標軸、即ち、時空という概念の中で捉えていますので、宇宙における時間の無限性を考えることと、宇宙における空間の無限性を考えることとは、決して切り離すことは出来ないものであると思います。

そして、宇宙の無限性について考察する時に、忘れてはならない本質的な問題となるのが、果たして、この宇宙そのものを創造した根本主体、即ち、宇宙意識とでも呼ぶべき存在があるのかどうか、ということなのです。

 

宇宙を創造した根本主体としての宇宙意識は存在するのか

宇宙そのものを創造した根本主体としての宇宙意識というものが存在するのかどうかを抜きにして、宇宙における時間の無限性や、宇宙における空間の無限性というものを考察することは出来ないと思います。

私たちが見ている物理的宇宙が存在する為には、それを存在させている何らかの意志やエネルギーが存在する筈です。

そして、物理的宇宙そのものを存在させている意志やエネルギーというものは、一体どこからきているのかということを考えることなく、宇宙の時間は無限か有限かとか、あるいは、宇宙の空間は無限か有限か、ということを突き詰めていこうとしたところで、本質的なことは何も分からないと思います。

宇宙そのものを創造した根本主体としての宇宙意識というものが存在するのかどうかを抜きにしては、宇宙の時間や空間が無限か有限か、という議論は成り立たないと考えます。

宇宙そのものを創造した根本主体としての宇宙意識というものを、人によっては、神、仏、天、宇宙霊、気、プラーナ、エネルギーなど、様々な呼び方をするかも知れませんが、呼び方はともかく、この宇宙そのものを創造した根本主体、あるいは根本創造主というものが存在するのかどうかを抜きにしては、宇宙の無限性について考察することは出来ないと思います。

この宇宙そのものを創造した根本主体、あるいは根本創造主というものを、ここでは便宜上、宇宙意識と呼ぶことにします。

そして、古来、何千年も前から、この宇宙は一つの「純粋意識」から生み出されたということが、一部の神秘家たちによって語られてきました。

さらには、最新の物理学においても、「宇宙の中に意識があるのではなく、意識の中に宇宙がある」という奇想天外な結論に至った研究者もあるようです。

宇宙意識とでも呼ぶべき、宇宙そのものを創造した何らかの「純粋意識」というものを想定しない限りは、宇宙の時間や空間は無限か有限か、というような議論は成り立たないと思われます。

 

時間も空間も存在しない、時空を超越した宇宙の根源の世界とは

古来、瞑想などによって宇宙の真相を体得した一部の神秘家たちによって、この宇宙が一つの「純粋意識」から生み出されたものであることが語られてきました。

そして、私たちが見ている物理的宇宙というのは、宇宙の仮相(仮の姿)の世界であり、宇宙の実相(本質)の世界ではないと語る神秘家もあります。
古代のインドにおいても、サンスクリット語の「マーヤ(幻・幻影)」という言葉で、この世界が幻や幻影であることを表現してきました。

サンスクリット語には、「全ては神の戯れ」という意味の「リーラ」という言葉があるようですが、この宇宙が一つの「純粋意識」から生み出され、その「純粋意識」によって営まれている世界であることを表現した言葉であると思われます。

現代の科学においても、この物理的宇宙はホログラムの世界であり、見えない世界からの投影であると考える研究者もあります。

もしそうだとするならば、私たちがみている物理的宇宙というものが、宇宙の全てではないだけではなく、宇宙の実相(本質)ではないということになります。

私たちが見ている物理的宇宙が、宇宙の実相(本質)ではなく、宇宙の全てでもないとしたら、物理的宇宙だけをいくら科学的に探求したとしても、宇宙における時間や空間の無限性というものを、解明出来ないと思います。

「時間と空間」という座標軸、即ち、時空から成り立っている物理的宇宙というのは、宇宙における仮相(仮の姿)の世界であり、時間もなければ空間もない、時空を超越した根源の世界が、この宇宙の実相(本質)の世界だと語る神秘家もあります。

そして、時空を超越した根源の世界である、この宇宙の実相(本質)の世界を絶対世界と呼び、宇宙における仮相(仮の姿)の世界である物理的宇宙のことを相対世界と呼ぶこともあります。

宇宙は絶対世界と相対世界から成り立っていると言うのです。

宇宙は絶対世界と相対世界から成り立っているという概念は、物理学者のデヴィッド・ボームが唱えた、内在秩序と外在秩序という考え方と似ている部分もありますが、絶対世界と相対世界という概念の方が、もっと本質的な感じがします。

宇宙が内在秩序と外在秩序という二つの根本的な秩序の複合体であるというのがボームの考え方であり、ボームはホログラフィックなユニバースモデル、即ち、この宇宙が巨大なホログラムのような世界であり、この世界は見えない世界からの投影であると考えたことでも知られていますが、ボームが唱えた内在秩序と外在秩序というものよりも、絶対世界と相対世界という捉え方の方が、もっと本質的であると思います。

 

時空を超越した絶対世界には、時間も空間も存在しない

宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界は、時空を超越した根源の世界なので、そこには時間も空間も存在しないと言います。

時間は存在せず、そこにはただ、「今」という名の「永遠の時」だけが存在していると言います。
「今」という名の「永遠の時」を、「永遠の今」とか、「永遠(とわ)の中今」と表現する神秘家もあります。

そして、絶対世界とは非物質な世界なので、そこには空間も存在しないと言います。
絶対世界に唯一実在しているのは、一つの「純粋意識」だけであると言います。

絶対世界に唯一実在している一つの「純粋意識」から、物理的宇宙の全てが創造されたのだと言います。

絶対世界に唯一実在している、一つの「純粋意識」こそが、宇宙の根本主体、あるいは、宇宙の根本創造主とでも言うべき、宇宙意識ということになります。

そして、ここで考えなければならない大切なことは、宇宙の根本主体、あるいは、宇宙の根本創造主とでも言うべき、宇宙意識とは、一体いつから存在しているのか、ということなのです。

このことを抜きにして、宇宙の時間は無限か有限か、ということを議論してみたところで、意味がないとも言えます。

何故なら、宇宙意識とは、誕生するということもなければ、消滅するということもない、不生不滅の実在だからなのです。

 

宇宙意識とは、不生不滅の実在

宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界とは、時空を超越した根源の世界であり、非物質な世界なので、そこに唯一実在している宇宙意識というのは、不生不滅の実在であり、永遠不滅の存在であると言います。

宇宙の根本主体であり、宇宙の根本創造主である宇宙意識とは、非物質な存在であり、一つの「純粋意識」なので、誕生するということもなければ消滅するということもなく、永遠不滅の存在なのです。

宇宙意識というものが永遠不滅の存在なので、宇宙そのものも永遠不滅の存在だということになります。

宇宙意識そのものは、誕生するということもなければ消滅するということもないので、宇宙そのものも、誕生するということもなければ消滅するということもなく、始まるということもなければ終わるということもないのです。

宇宙には、始まりもなければ終わりもないということになります。

つまり、宇宙の時間は無限だということなのです。

 

宇宙の時間は無限

宇宙の時間は無限なのです。

宇宙そのものには始まりも終わりもないので、時間にも始まりも終わりもないのです。
宇宙は誕生するということもなければ消滅するということもなく、永遠不滅の存在であり、時間もまた同様になります。

時間には始まりもなければ終わりもなく、時間は無限なのです。

過去には始まりがなく、未来にも終わりがなく、「無始の過去、無終の未来」なのです。

宇宙の根本主体である宇宙意識という、不生不滅の実在があるとすれば、宇宙の時間は無限であり、過去には始まりがなく、未来にも終わりがないのです。

 

過去には始まりがなく、未来には終わりもなく、「無始の過去、無終の未来」

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宇宙の根本主体であり、宇宙の根本創造主である宇宙意識というものが実在しているのだとすれば、宇宙の時間は無限であり、宇宙は何らかの形で永遠不滅に存在していると考えられます。

今現在の科学では、この物理的宇宙の始まり(誕生・起源)というものをビッグバンによるものと捉えており、宇宙の年齢・時間というものを、約138億年と捉えています。

『宇宙の時間は無限か有限か、時間に始まりと終わりはあるのかについて考察してみる』、こちらの記事の中でも書きましたが、もし仮に、今の科学が捉えているようなビッグバンが138億年前に起きたとしても、そのことは宇宙における時間が有限だということを意味することにはならないのです。

今の科学でも、ビッグバンが起きる元になった何らかの意志やエネルギーというものが、どこから来たのかを説明出来ないと思います。
ビッグバン理論(ビッグバン仮説)では、ビッグバンによって今ある宇宙が誕生したことを説明は出来るものの、ビッグバンという宇宙の始まりの特異点が何故起こったのかを説明出来ていないようですし、特異点がどうなっているのかも、よく分からないようです。

ビッグバンが始まる前はどうだったかについては、「神の一撃」で、宇宙がある時、ある”1点”から始まり、その始まりは高温の素粒子で満ち満ちていたとしか言えないようですので、科学者たちの間でも、ビッグバン説は「神の存在を証明する理論だ」と揶揄されたりしたようです。

もし、宇宙の根本主体であり、宇宙の根本創造主とも言うべき宇宙意識というものが存在しているのであれば、今私たちが見ている宇宙が138億年前にビッグバンによって誕生したとかしないとかに関わらず、ビッグバン以前があったのであり、ビッグバン以前にも、宇宙は何らかの形で存在していた筈です。

また、多元宇宙論で語られるように、今私たちが認識している宇宙が唯一の宇宙という訳ではなく、宇宙の一部にしか過ぎず、無限の宇宙が存在する可能性があるとすれば、今私たちが認識している宇宙が138億年前にビッグバンによって始まったとしても、そのことは、宇宙における時間の始まりを意味することにはならない訳です。

未来についても同じであり、もし仮に、今私たちが認識している宇宙が、ビッグバンの時間的逆転であるビッグクランチによって極小の特異点に収束して終わり(最後・終焉)を迎えたとしても、そのことは、宇宙そのものの終わり(最後・終焉)を意味することにはなりませんし、宇宙における時間の終わり、未来時間の終わりを意味することにはならない訳です。

では、宇宙の空間においてはどうなのでしょうか?

 

宇宙の果て(大きさ・広さ)は無限であり、無窮の空間

宇宙の果て(大きさ・広さ)は無限か有限か、宇宙空間に外側はあるのか、ということを考察する上においても、宇宙意識というものの存在を抜きにして考察することは出来ません。

もし、宇宙の根本主体であり、宇宙の根本創造主である宇宙意識というものが存在するのであれば、宇宙における空間は無限であり、無窮の空間であると考えざるを得ないからです。

絶対世界に唯一実在している宇宙意識という「純粋意識」は、全知全能の存在であり、無限の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持っていると語る神秘家もあります。

そして、宇宙の実相(本質)の世界である絶対世界においては、「想像(そうぞう)」も「創造(そうぞう)」も同じことであり、「想像=創造(そうぞう)」なのだと言います。

宇宙の仮相(仮の姿)の世界である相対世界(物理的宇宙)とは、絶対世界において宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージを映し出す「映し世」(うつしよ)として「創造(そうぞう」されているのだと言います。

言わば、私たちが見ている物理的宇宙というのは、絶対世界を映し出す「鏡」の世界であり、絶対世界が投影された「映し世」(うつしよ)なのだということになります。

古来、神道などにおいても、「現世」のことを「うつしよ」と呼んでいたようですので、そのことと関係しているのかも知れません。

また、デヴィッド・ボームなどが考えたように、ホログラフィック・ユニバース、即ち、宇宙は巨大なホログラムのような世界であり、見えない世界からの投影であるとする考え方とも相通じるものがあります。

そして、古代のインドにおいては、サンスクリット語の「マーヤ(幻・幻影)」という言葉で、この世界のことを表現していたことにも通じるものがあると思います。

もし、一部の神秘家が語るように、相対世界である物理的宇宙というのは、絶対世界の投影であり、絶対世界において宇宙意識が「想像(そうぞう)」したイメージが「創造(そうぞう)」されている「映し世」(うつしよ)だとすれば、この宇宙は空間において無限だということになります。

何故なら、宇宙意識とは、唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の無限の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持っているのだとすれば、宇宙意識に不可能はないということになるからです。

『宇宙空間は無限か有限か、宇宙の果てや広さ・大きさ・外側について考察する』、こちらの記事の中でも書きましたが、今現在の科学で考えられている可視宇宙の果てや広さ・大きさ・外側が、直径約28ギガパーセク(約930億光年)の球体だとしても、そのことは、宇宙そのもの(宇宙全体)の果てや広さ・大きさ・外側を意味することにはならないと考えられます。

私たちの認識している宇宙は唯一の宇宙ではなく、多元宇宙論が唱えるように、無限の宇宙が存在する可能性もあります。

何よりも、宇宙の根本主体である宇宙意識に不可能はなく、宇宙意識の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」には限りがないのだとしたら、宇宙は空間においても無限だということになります。

宇宙の果てや広さ・大きさ・外側は無限であり、空間は無限であると考えることは、気の遠くなるようなことではあるのですが、逆に、宇宙の果てや広さ・大きさ・外側は有限だと考えることにも、無理があるのです。

何故なら、宇宙の果てや広さ・大きさ・外側はここまで、と特定した途端に、その外側が必ず出来てしまうので、宇宙の果てや広さ・大きさ・外側を限定することは不可能だと考えざるを得ないのです。

今現在、科学で考えられている可視宇宙の果てや広さ・大きさ・外側は、直径約28ギガパーセク(約930億光年)の球体だということのようですが、球体の外側には必ず空間が存在しますので、直径約28ギガパーセク(約930億光年)の球体の外側は宇宙空間ではないのか、ということになるのです。

宇宙空間をどのように具体的な数値で特定したとしても、特定した途端にその外側が必ず出来てしまうので、宇宙空間が有限であると説明することは出来ないと思います。

ここで大切になるのが、「宇宙の中に意識があるのではなく、意識の中に宇宙がある」という考え方になります。

 

宇宙の中に意識があるのではなく、意識の中に宇宙がある

宇宙空間が無限であるということを想像するのは、気の遠くなるようなことではありますが、「宇宙の中に意識があるのではなく、意識の中に宇宙がある」のだとすれば、より理解しやすくなるのかも知れません。

古来、一部の神秘家たちは、この宇宙が一つの「純粋意識」から生み出されたのだと語ってきましたし、最新の物理学においても、「宇宙の中に意識があるのではなく、意識の中に宇宙がある」という結論に至った研究者もあるようです。

物理的宇宙を「想像=創造(そうぞう)」したのは、絶対世界という「純粋意識」の世界であり、非物質な世界であるとすれば、宇宙空間が無限であるというのも、何となく理解出来るような感じがします。

物質を「想像=創造(そうぞう)」している源は「意識」というものであり、「意識」というものによって「想像=創造(そうぞう)」されている世界が物質世界だとすれば、物質世界、即ち、物理的宇宙は無限であるということが、理解しやすくなります。

私たちが見ている物理的宇宙というものが、絶対世界の「映し世」(うつしよ)として創造されている世界であり、宇宙における仮相(仮の姿)の世界であるとすれば、物理的宇宙が時間においても空間においても無限であることを理解しやすくなると思います。

「宇宙の中に意識があるのではなく、意識の中に宇宙がある」のであり、物理的宇宙の中に宇宙意識が存在しているのではなく、宇宙意識という「純粋意識」の中に物理的宇宙が存在しているからなのです。

宇宙の根本主体であり、宇宙の根本創造主である宇宙意識とは不生不滅、永遠不滅の実在であり、誕生するということもなければ消滅するということもないので、宇宙は時間において無限なのです。

そして、宇宙意識とは唯一にして絶対、至高の存在であり、全知全能の無限の「想像力=創造力(そうぞうりょく)」を持った実在であり、宇宙意識という「純粋意識」の中に存在しているのが物理的宇宙なので、宇宙は空間においてもまた無限なのです。

 

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