[記事公開日]2015/11/29
[最終更新日]2016/04/11

宇宙ロケットはロケット推進の原理で人工衛星やスペースシャトルを宇宙へ運ぶ飛行物体

ロケットとはロケット推進の原理で飛行する物体

現代では、人工衛星やスペースシャトルを運ぶ手段として、当たり前のように宇宙ロケットが使われています。

そもそも、このロケットというものは、どのようなものなのでしょうか?

ロケットとは、ロケット推進の原理で飛行する物体のことを言います。

ロケットの起源は、古代バビロニアにまで遡るとも言われているようです。
確かに、世界最古と言われるシュメール文明の文献には、ロケットらしきものが描かれており、古代宇宙飛行士説などでも語られているところです。

さらに、歴史上に最初に現れるのは、13世紀の中国の兵器「火箭」だとも言われています。

ただ、現代のロケットにつながるものということになれば、18世紀末にインドで使われたロケット弾で、インド軍と戦ったイギリスの将軍はそれをヨーロッパに持ち帰ったそうです。

そして、そのロケット弾は、19世紀前半のナポレオン戦争を始めとする様々な戦いで使用され、後にロケットの父と呼ばれるロシアのツィオルコフスキーが、宇宙飛行の基礎となるロケット推進の理論を生み出したとのことです。

ジェット機というのは周りの空気を吸い込んで燃料を燃やしていますが、ロケットは燃料だけでなく燃料を燃やすための酸素(酸化剤)も持っていく必要があるようです。
これは、ロケットは空気がとても薄いところからほとんど真空に近いような場所まで飛んでいくためだそうです。

また、ロケットには、観測機器などをある高さまで運ぶ目的の「弾道ロケット」と、人工衛星や惑星探査機をある軌道まで運ぶ「打ち上げロケット」の2種類があります。

ロケットは、ロケット推進原理で進むそうですが、ロケットの推進原理とは、どのようなものなのでしょうか?

 

ロケット推進原理とは

ロケットが進む原理とは、物体(質量)を打ち出し、その反動で進むという原理のようです。

例えば、ボートに乗っている状態で、ボールを投げたとすると、ボートはボールを投げた反動で、投げた方向と逆向きに動いてしまいます。

ふくらませた風船の口を放すと自由気ままに飛んで行ってしまいますが、これも空気を噴出する反動で飛んでいるのであり、ロケット推進と同じ原理で飛んでいることになるそうです。

理科の実験などで使われるペットボトルロケットも、水を吐き出す反動で推力を得ています。

このように、物体(質量)を打ち出し、その反動で進む方法を「ロケット推進」方式と呼ぶそうです。

 

近代ロケットを生み出した科学者たち

近代ロケットを生み出した科学者たちの中には、「近代ロケットの父」と呼ばれているゴダードを始め、何人かの代表的な科学者がいます。

★ロバート・ゴダード

アメリカ人のロバート・ゴダードは、「近代ロケットの父」とも言われています。

ゴダードは、独自に液体ロケットの開発を進め、1926年にアメリカのマサチューセッツ州オーバーンの農場で、世界で初めて液体ロケットの飛行を成功させた人物になります。

この液体ロケットには、ガソリンと液体酸素を燃料とするエンジンが積まれ、高度12メートル、飛行距離56メートルで約2.5秒間飛行したという記録が残っているそうです。

ゴダードは他にも、原子力エンジンで他の惑星に移住する計画や、宇宙に存在する資源を宇宙船や宇宙基地建設の材料にしたりすることを提案しているとのことであり、20世紀前半に活躍した時代から考えれば、かなり先見の明のある人物だったようです。

ゴダードが、ロケットで月へ行くという計画を発表した時、ニューヨーク・タイムズ紙は、1920年1月13日付の紙面で、真空でロケットが飛べる訳がないと批判したようです。

その後、ニューヨーク・タイムズ紙は、1969年7月17日、アポロ11号が月に着陸する直前になって、1920年の記事が間違っていることを詫びたそうですが、この時既にゴダードは20年以上も前に亡くなった後のことでした。

★ヘルマン・オーベルト

ドイツのロケット工学者ヘルマン・オーベルトは、中学生の時にジュール・ベルヌのSF小説を読んで宇宙ファンになり、人類が宇宙へ行くための技術の科学的基礎を確立した人物です。

オーベルトが発表した『惑星空間へのロケット』『宇宙空間への旅』などの著書がきっかけで、宇宙飛行熱の高まったドイツでは、世界初の民間宇宙旅行協会が1927年に設立され、後にオーベルトはその会長に推されているとのことです。

★コンスタンチン・ツィオルコフスキー

ロシアの科学者コンスタンチン・ツィオルコフスキーは、ロケット理論や、宇宙服や宇宙遊泳、人工衛星、多段式ロケット、軌道エレベーターなどの考案で知られており、現代ロケット工学の基礎的理論を構築した人物であり、この業績から「宇宙旅行の父」「宇宙開発の父」「ロケット工学の父」などと呼ばれています。

ツィオルコフスキーは、『月世界到着!』(1916年)をはじめとする先駆的かつ科学啓蒙的なSF小説を著したことにより、SF史にも名を残す人物でもあります。

 

宇宙開発が発展したのは、冷戦下における米ソの熾烈な競争

ロケットが進化し、宇宙開発が発展したのは、冷戦下における米ソの熾烈な競争が大きく影響を及ぼしています。

米ソの冷戦時代、ロケットは、核弾頭を付けたミサイルとして戦略的な価値が高まったからです。

1955年頃から、長距離弾道弾としての液体ロケットエンジンの大型ロケットが次々と開発されたようです。

そしてついに、1957年10月4日、人類は史上初めて人工衛生を地球の周回軌道に乗せることに成功したのですが、これが、旧ソ連が打ち上げたスプートニク1号でした。

この年は、地球観測年で、スプートニク1号はその一環だったようです。

アメリカは、人工衛星打ち上げ用のロケット選定などでもたもたしているうちに旧ソ連に先を越されてしまい、旧ソ連がスプートニク1号を打ち上げ成功させた後も、ロケットの打ち上げにはことごとく失敗しました。

戦後ドイツからアメリカに移住したロケット技術者フォン・ブラウン(ドイツのV2号ロケットの開発者)のチームが、1958年にアメリカ初の人工衛星「エクスプローラー1号」打ち上げに成功し、以降アポロ計画までアメリカの宇宙開発をリードしていくことになったようです。

この時既にソ連では、ライカ犬を乗せたスプートニク2号と3号が打ち上げられていました。

アメリカは、1958年にアメリカ航空宇宙局(NASA)を設立し、スプートニク打ち上げの約1年後には宇宙開発をスタートさせています。

そして、数年後には、アポロ計画を推進していくことになるのですが、アメリカが行ったアポロ計画とはどのようなものだったのでしょうか?

 

アポロ計画により、人類初の月面着陸に成功

1961年5月25日、アメリカのケネディ大統領は議会で「1960年代の終わりまでに人間が月に安全に着陸し、地球に戻ってくることを国家の目標とする」という演説を行いました。

これが有名な「アポロ計画」であり、その言葉通り、1969年7月16日にサターンVロケットで打ち上げられたアポロ11号は、7月21日、月面に着陸し、人類が初めて月面に立つことになりました。

アポロ11号のアームストロング船長は、「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとって大きな一歩である」という有名な言葉を残したそうです。

その後もアメリカは、アポロ12号、14号、15号、16号、17号と人間を月に送り続け、合計12人の宇宙飛行士を月面に着陸させています。(アポロ13号は、事故のため途中で引き返した)

アポロ計画は、250億ドルという巨額の費用をかけて1972年に幕を閉じることになりました。

本来、NASA(アメリカ航空宇宙局)は、月への中継基地として宇宙ステーションを建造し、そこから月へ行く計画を考えていたそうです。

しかし、ケネディ大統領から突きつけられた期限のために、巨大なロケットで一気に月へ行かざるを得なかったとのことです。

250億ドルという巨額の費用をかけたアポロ計画は、人類初の月面着陸によって国威発揚の目的は達成できたものの、巨額の経費で得られたのは月の石だけではないかという批判もあり、アメリカ国内においても賛否両論だったようです。

余談ですが、最近になって、「アポロ11号の月面着陸はウソだった」といううわさ話が、アメリカ国内はもちろんのこと、日本においても広まっています。

これに対して、NASA(アメリカ航空宇宙局)はホームページ上で異例の反論をしているようですが、この問題については、また別の機会に取り上げてみたいと思います。

 

スペース・シャトルはポスト・アポロ計画の中から生まれた

アポロ11号の成功の後も、NASA(アメリカ航空宇宙局)には有人宇宙飛行へのこだわりがあったようです。

NASA(アメリカ航空宇宙局)が考えていたポスト・アポロ計画の構想には、完全再使用型のスペースシャトルと、宇宙ステーション、スペースタグ(宇宙ステーションから衛生などを運搬する輸送機)の3つがあり、これからの宇宙活動を低コスト、効率的に行うことを目指したものだったようです。

しかし、財政的な制約や、ベトナム戦争の影響などから、NASA(アメリカ航空宇宙局)はスペースシャトルの開発のみを行なうことになりました。

そして、開発費との兼ね合いにより、結果的には、スペースシャトルは、完全再使用型ではなく、主要な部分だけを再利用するシステムになっているそうです。

「シャトル」とは「往復する」という意味であり、スペースシャトルはまさに宇宙往還機と呼べるものになります。
スペースシャトルは、再使用することを目的に設計された宇宙船としては初めてのものになります。

スペースシャトルは、NASA(アメリカ航空宇宙局)が1981年から2011年にかけて135回打ち上げた、再使用をコンセプトに含んだ有人宇宙船のことになります。

スペースシャトルの第1号機は、着陸試験など色々な試験に使われた試験機「エンタープライズ号」になります。

そして、スペースシャトルの初飛行は、1981年4月12日の「コロンビア号」によるものであり、2日後の4月14日に地球に帰還したそうです。

その後、「チャレンジャー1号」、「ディスカバリ1号」、「アトランティス1号」、「エンデバー1号」が作られています。

スペースシャトルの初飛行は1981年、2回目の飛行は1982年で、2011年7月の135回目の飛行をもって退役しましたが、その間に2度の失敗があり、乗員が死亡するという事故が起きています。

1度目は、1986年1月に、「チャレンジャー1号」が打ち上げ直後に爆発し、乗員7名が死亡しています。

2度目は、2003年2月1日に、「コロンビア号」が大気圏再突入後に分解し、7名の乗員が死亡するという事故が起きています。

また、1990年4月には、「ディスカバリー号」によって、重量11トンものハッブル宇宙望遠鏡が軌道上に運ばれています!

次に、日本の宇宙ロケット、宇宙開発についても触れてみたいと思います。

 

日本の宇宙開発は「ペンシルロケット」から始まった

日本の宇宙ロケットは、「ペンシルロケット」から始まったと言われています。

「ペンシルロケット」は、その名のとおり、直径わずか1.8センチメートル、全長23センチメートル、重量わずか200グラムというものだったそうです!

「ペンシルロケット」は、将来のロケット旅客機開発の実現を睨んだロケット推進の研究を目的として東京大学生産技術研究所が開発した一連の小型ロケットシリーズのことであり、開発名は「タイニー・ランス」と言うそうです。

「ペンシルロケット」は、戦後日本初の実験用ロケットであり、1954年に開発が開始され、予算の制約から超小型の火薬式ロケットを実験装置として使用しました。
鉛筆のようであるところから、「ペンシルロケット」の愛称が生まれたそうです。

「ペンシルロケット」について実験を主導した糸川英夫氏は、米ソの大型の実験機を縮小して実用化するという発想から、小さな物を巨大化して実用にするという「逆転の発送」を用いたものだと後に説明しているとのことです。

「ペンシルロケット」は合計150機あまりが発射されたそうですが、ロケットとしては非常に小さく、計測器などの搭載も出来ないなど、能力も実用に耐えうるような代物ではなかったものの、単体でロケットシステムとして成立しており、ノーズコーンや尾翼の材質、形状、重心の変化等による空力特性の変化による分散の影響などが調べられたようです。

「ペンシルロケット」は水平発射され、その様子を高速度カメラやオシロスコープなどで計測してデータを得たようです。

その後、「ペンシルロケット」で得た技術は、ベビーロケット、カッパロケット、ラムダロケット、ミューロケット、M・Vロケットと受け継がれ、ラムダロケットは、1970年2月11日に日本初の人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功しました。

東京大学の研究グループから始まった日本の宇宙開発ですが、1981年には東京大学宇宙航空研究所から宇宙科学研究所(ISAS)が誕生し、1969年には宇宙開発事業団(NASDA)が設立されました。

日本のロケット打ち上げは、この2機関によって行われており、宇宙科学研究所(ISAS)は固体ロケットと科学衛星、宇宙開発事業団(NASDA)は液体ロケットと実用衛星というように、棲み分けがされてきたものの、今では、その両者を宇宙開発委員会が取りまとめをしているとのことです。

宇宙開発事業団(NASDA)は、国産の大型ロケットH・Ⅱ1号機打ち上げを1994年2月14日に成功させ、その後、気象衛星、通信衛星、地球観測衛星といった私たちの生活に密着した実用衛星を打ち上げるとともに、宇宙ステーションや宇宙飛行士といった宇宙有人活動も担当しています。

そして、2003年秋には、宇宙科学研究所(ISAS)、宇宙開発事業団(NASDA)、航空宇宙技術研究所(NAL)の3機関が統合され、宇宙航空研究開発機構(JAXA)としてますます強力な宇宙開発体制がとられることになりました。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、政府全体の宇宙開発利用を技術で支える中核的実施機関と位置付けられ、同分野の基礎研究から開発・利用に至るまで一貫して行っています。

ところで、ロケットには、大きく分けて、固体ロケットと液体ロケットの2種類があるようです。

 

ロケットには固体ロケットと液体ロケットの2種類がある

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ロケットには大きく分けて、固体推進薬を用いる固体ロケットと液体推進薬を用いる液体ロケットの2つがあります。

★固体ロケット

固体ロケットは、固体推進薬を用いるロケットであり、構造が比較的簡単で、開発・製造・取り扱いも容易だと言います。

ただ、多量生産ではコストが上がり、液体ロケットの方が安くなるようです。

同じ大きさの液体ロケットと比較すると、より大きな推力が得られるものの、燃焼を途中で止めることができないので、正確な誘導制御が難しいようです。

固体ロケットは、大型液体ロケットの打ち上げ時に不足する推力を補う補助ブースターにも使用されるとのことです。

★液体ロケット

液体推進薬を用いるのが液体ロケットであり、液体ロケットエンジンは、構造が複雑になるが、推進薬の比推力が大きく、推力を調節することができるので、固体ロケットに比べて正確な誘導制御が行えるそうです。

衛星を所定の高度や軌道に乗せるために厳しい精度が要求される場合は、目標速度に達したら燃焼の停止ができる性能の良い液体ロケットのほうが使用されているとのことです。

ちなみに、スペースシャトルのメインエンジンは液体ロケットであり、その横に補助ブースターと呼ばれる固体燃料のロケットが付いていて、発射時の推力の大部分を受け持っているようです。

そして、スペースシャトルの総質量は約2000トンで、そのうちの約1800トンが推進薬だとのことなので、総質量の約9割が推進薬ということになります!

また、ロケットの推力(力の強さ)を示すものとして、比推力というものがあります。

 

比推力とはロケットの推力(力の強さ)を示すもの

ロケットの力の強さを示すものが、推力になります。

推力とは、ロケットがどれくらいの重さのものを持ち上げることが出来るかという、ロケットの力の強さを示すものであり、1秒間に噴射される燃料ガスの質量×燃焼ガスの噴射速度で表されます。

比推力とは、その推力を1秒間に消費される推進薬の重量で割った値で、言わば、自動車の燃費のようなものになります。

比推力が大きいと、同じ質量のペイロード(ロケットの搭載物)ならば、少ない推進薬で打ち上げることが出来、同じ量の推進薬ならば、より重いペイロード(ロケットの搭載物)を打ち上げることが出来る訳です。

つまり、比推力の値が高いほど優れた推進機関と言うことが出来ます。

そして、推進薬とはロケットの燃料と酸化剤のことを指します。

 

ロケットの進化により、宇宙旅行に出かける日も近い?

宇宙飛行士で構成される宇宙探検家協会(ASE)という組織があります。

宇宙探検家協会(ASE)は、宇宙空間で地球を最低でも一周した人物から構成される非営利団体であり、本部事務局はヒューストン及びモスクワに置かれています。

現在は、30数カ国から300人以上の宇宙飛行士・宇宙旅行関係者が参加しているそうです。

宇宙空間を体験した人々の数は、まだまだごく一部に限られていますが、宇宙ロケットが進化し、コストも大幅に安くなると、普通の一般人でも宇宙旅行を楽しめる日が、そう遠くでもなくなるかも知れません。

2001年4月、アメリカの実業家が24億円をロシアに支払い、世界初の宇宙観光客となりました。
彼はロシアで半年間の訓練を受けた後、ロシアのソユーズに乗り込み、8日間の宇宙旅行を体験しました。

約10年余り前は、一般の民間人が数日間の宇宙旅行を楽しむためには、20億円くらいのコストがかかったようです。

しかし、NASA(アメリカ航空宇宙局)では、宇宙開発の技術開発が進めば、宇宙旅行のコストは大幅に安くなると試算しているようです。

今では、数千万円で宇宙旅行が出来る時代に突入しつつあります。

また、NASA(アメリカ航空宇宙局)の試算では、宇宙開発の技術開発が進めば、いずれは、数百万円で宇宙旅行が楽しめる時代も到来するようなので、若い人たちにとっては、将来が楽しみな話になります。

 

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