[記事公開日]2015/11/04
[最終更新日]2016/04/11

宇宙の時間は無限か有限か、時間に始まりと終わりはあるのかについて考察してみる

時間とは何か?

時間とはなんでしょう?

多くの人たちは、時間というものが存在しており、過去→現在→未来へと流れているように、漠然と考えていますが、時間とはそもそも何なのでしょうか?

アインシュタインは、「過去・現在・未来という考え方は幻想に過ぎない」、「時間が流れているというのは、有史以来人間にこびり付いた固定観念に過ぎない」と言っているようですが、時間とは何かという問題については、現代の科学でもまだはっきりとは解明出来ていないようです。

アインシュタインが言うように、「過去・現在・未来という考え方は幻想に過ぎない」のだとすれば、時間というものそのものが、幻想にしか過ぎないということなのでしょうか?

 

時間は幻想なのか?時間は「時の間」と書くが、「時」とは何なのか?

多くの人たちは、時間というものが存在しており、時間が過去→現在→未来へと流れているように感じていますが、それはあくまでも、有史以来、私たち人間にこびり付いている固定観念にしか過ぎず、時間というものそのものが、幻想にしか過ぎないのかも知れません。

そもそも、時間とは「時の間」と書きますが、「時」とは一体何でしょうか?

時間が幻想にしか過ぎないとしたら、「時」とは、さらに説明することが困難な概念です。

宇宙の真相を体験した神秘家の中には、「永遠の今」という「時」だけが真実だと語る人もあります。

 

宇宙には、「永遠の今」、「永遠(とわ)の中今」という真実が実在するだけ?

私たちが見ている宇宙は、「時間と空間」という座標軸、時空というものから成り立っていますが、時空を超越した宇宙の根源の世界には、時間も空間も存在していないと言います。

宇宙の本質の世界には、時間も空間も存在していないので、時間というものも、幻想にしか過ぎないと言います。

宇宙の本質の世界には、時間というものは存在しておらず、ただ、「永遠の今」、「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「今」という名の「永遠の時」があるだけなのです。

そして、「時」には始まりも無ければ、終わりもありません。

 

「時」には始まりも無ければ終わりも無い、何故なら、宇宙意識(宇宙の根本主体・根本創造主)、あるいは唯一絶対の神は不生不滅の実在だから

「時」には始まりも無ければ終わりも無く、「今」という名の「永遠の時」だけが実在しています。

何故なら、「時」というものと、宇宙意識(宇宙の根本主体・根本創造主)というものとは、本質的に同じものであり、宇宙意識(宇宙の根本主体・根本創造主)とは、不生不滅の実在だからだと言います。

宇宙意識(宇宙の根本主体・根本創造主)という言葉がピッタリとこなければ、唯一絶対の神と捉えても良いのですが、それは不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、生ずるということも無ければ滅するということも無く、永遠不滅の実在だからなのです。

宇宙意識(宇宙の根本主体・根本創造主)、あるいは唯一絶対の神とは不生不滅の実在であり、誕生するということも無ければ消滅するということも無く、永遠不滅の存在なので、「時」というものにおいても、始まりも無ければ終わりも無いということになります。

 

「時」には始まりが無いので、過去にも始まりが無く、過去は無限

「時」には始まりも無ければ終わりも無いので、過去には始まりが無く、過去は無限だということになります。

今現在の科学では、宇宙の始まり(誕生・起源)をビッグバンによるものと考えており、宇宙の年齢を約138億年と捉えています。

しかし、もし仮に138億年前に、ビッグバンによって今私たちが認識している宇宙が誕生したと仮定しても、それが即ち、宇宙そのもの(宇宙全体)の始まり(誕生・起源)を意味することにはならないだけでなく、時間そのものの始まりを意味することにもならない筈です。

今現在の科学では、ビッグバンを起こす元になった意志やエネルギーというものが、一体どこからやって来たのか、あるいはビッグバン以前のことは説明出来ないと思います。

数字の0(ゼロ)からマイナス(-)方向に進んでいくと、マイナスの数字を無限に進んでいくことが出来ます。

マイナス一、マイナス十、マイナス百、マイナス千、マイナス一万、・・・マイナス一億、・・・マイナス一兆、・・・マイナス一京・・・・・・・。

これを、過去における時間と捉えることが出来ます。

時間というものを過去へと遡っていくと、一年前、一万年前、一億年前、一兆年前、一京年前・・・・・と無限に遡っていくことが出来る筈です。

同様に、時間というものを未来へと進んでいくと、無限に進んでいくことが出来る筈です。

 

時間には終わりが無いので、未来には終わりが無く、未来は無限

数字をどんどん大きくしていくと、一、十、百、千、万、億、兆、京・・・・・と、ゼロ(0)をどこまでも無限に増やしていくことが出来ます。

時間というものを未来へと進んでいけば、一年後、一万年後、一億年後、一兆年後、一京年後・・・・・と無限に進んでいくことが出来る筈です。

今現在の科学では、ビッグバンによって始まった宇宙が、ビッグバンの時間的逆転であるビッグクランチによって極小の特異点に収束して最後を迎えるとも考えられているようです。

もし仮にそうなったと仮定しても、そのことは宇宙そのもの(宇宙全体)の終わり(最後・終焉)を意味することにはならないだけでなく、時間そのものの終わりを意味する訳ではありません。

過去には始まりが無く、過去は無限であるのと同じように、未来にも終わりは無く、未来は無限であると言えます。

 

「無始の過去、無終の未来」・・・過去には始まりが無く、未来には終わりも無い

「時」には始まりも無ければ終わりも無いので、過去には始まりが無く、過去は無限だということになります。

そして、未来には終わりが無いので、未来もまた無限だということになります。

過去には始まりが無く、未来にも終わりは無いので、「無始の過去、無終の未来」なのです。

「無始の過去、無終の未来」なので、宇宙は、時間において無限だということになります。

 

「時間の無限性」・・・宇宙の時間は有限なのではなく、宇宙は時間において無限

「時」には始まりも無ければ終わりも無く、「無始の過去、無終の未来」なので、宇宙は時間において無限だということになります。

過去は無限であり、未来もまた無限なのです。

今私たちが認識している宇宙というものが、約138億年前にビッグバンによって始まったとか始まらないとか、あるいは、今ある宇宙がビッグバンの時間的逆転であるビッグクランチによって最後を迎えるとか迎えないとかに関係なく、宇宙は時間において無限だということになります。

宇宙の状態がどのような状態であったとしても、宇宙そのものを存在させている、何らかの意志やエネルギーを持った存在を抜きにしては、宇宙の成り立ちを説明することは出来ない筈です。

宇宙そのものを存在させている、何らかの意志やエネルギーを持った存在とは即ち、宇宙意識(宇宙の根本主体・根本創造主)、あるいは唯一絶対の神ということになりますが、それは、不生不滅の存在であり、永遠不滅の実在である筈です。

だとするならば、宇宙における「時間の無限性」というものを理解出来ると思います。

 

時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在している

スポンサーリンク

時空を超越した根源の世界、宇宙の本質の世界においては、時間は存在していないので、時間というものは幻想であると言えます。

そして、時空を超越した根源の世界、宇宙の本質の世界においては、「永遠の今」、「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「今」という名の「永遠の時」があるだけであると言います。

そして、時間は流れている訳ではなく、過去も未来も、今、同時に存在しているのだと言います。

時間が過去→現在→未来へと流れているように感じるのは、私たちの固定観念なのかも知れません。

そして、時間の流れというものを敢えて想定した場合でも、それは、多くの人たちが考える、過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れになると言う人たちもいます。

 

時間の流れは過去→現在→未来という流れではなく、それとは逆の、未来→現在→過去という流れだという考え方もある

時間の流れが未来→現在→過去というのは、多くの人たちが感じているのとは逆の流れになりますが、どういうことなのでしょうか?

それは、究極的には時間というものは存在しておらず、過去も未来も、今、同時に存在しているので、既に存在している未来、既に100パーセント確定している未来から時間がやって来て、そこに至る為のプロセスが順番に創り出されているということなのです。

つまり、未来は既に存在しており、未来は既に100パーセント確定しているということになります。

 

宇宙には永遠の時だけが存在する

私たちは何気なく、時間というものが確かに存在しているかのように考えていますが、それはあくまでも、私たち人間が持っている固定観念にしか過ぎないとも言えます。

アインシュタインの言葉にあるように、「過去・現在・未来という考え方は幻想に過ぎない」、「時間が流れているというのは、有史以来人間にこびり付いた固定観念に過ぎない」ということなのであり、現在の科学ではまだ、時間とは何かを解明出来ないようです。

一部の神秘家たちが語るように、究極的には時間というものは存在していないのだとするならば、時間というものの本質は、科学では捉えきれないような、深遠なものなのかも知れません。

時間というものの謎・不思議は、宇宙そのものの謎・不思議と深く密接に関わっており、科学の範疇を超えた領域、人智を超えた領域にあるものなのかも知れません。

時間とは「時の間」と書きますが、「時」と「時」を計るために人間が創り出した概念にしか過ぎないとも言えそうです。

言わば、時間とは、「時」と「時」を計る為に、人間が発明した発明品だと言えます。

「時」には始まりも無ければ終わりもなく、ただ、「今」という名の「永遠の時」だけが実在しているのかも知れません。

時間は無限であり、過去には始まりが無く、未来には終わりもなく、「無始の過去、無終の未来」なのです。

時空を超越した根源の世界、宇宙の本質の世界においては、ただ、「永遠の今」、「永遠(とわ)の中今」とでも言うべき、「今」という名の「永遠の時」だけが実在しているということになります。

時間は無限であり、この宇宙には、永遠の時だけが存在しているということになります。

 

スポンサーリンク

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ